著作権ヤクザより厄介なパクリ厨がコンテンツをつぶす

著作者でもなんでもないやつらがなんかのパロディを見て著作権侵害だ!と騒ぎ立てる。お陰でパクリでもなんでもないもの作っているクリエイターが何かをモチーフにした作品さえも作ることが出来なくなっている。

元ネタのファンだろうがなんだろうが著作者以外は著作権侵害を訴えることはできない。
以前、韓国のメディアがスラム・ダンクのカットにNBLの写真のトレス疑惑を声高に批判していたが、全く持って迷惑な話。写真をそのままコピーのように印刷したらならいざ知らず、構図を真似るだけでもダメだというのであれば、漫画家の大半は著作権侵害だろうし、今後も漫画が作りにくくなる。
しかし、これは何も韓国メディアだけじゃなく日本のキモオタもやっていることだ。クリエイターをバッシングしたいのか、自分のオタ度をひけらかしたいのか。ある作品を見たときに既存の作品に少しでも似ている部分を見つけたら鬼の首を取ったように「パクリだ!」と騒ぎ立てる。
ヤンデレはすべて「ひぐらしのパクリ」、ボーカルにエフェクトかけたJ−POPはすべて「パフュームのパクリ」といった具合。

これがパクリ厨の独り言で終わってる分にはいいが、問題はプロダクションのプロデューサーがビビリ始めたことにある。「頭に毛が一本のキャラが出るだけでサザエさんの波平のパクリだからやめろ」と。ありとあらゆる表現が「パクリになるかもしれない」という恐れで制限される。パクリ厨がニコ動やらブログやらで「パクリだパクリだ」と騒ぎ立てたり、なかには本気で「通報しますた」するおかげで、大手出版社等の暇な窓際がプロダクションに茶々を入れてくる。またプロデューサーはプロダクションのイメージを落としたくないからという理由でクリエイターにガンガン制限をかけてくる。結果、面白くないものができあがるわけだが、多くの場合バッシングされるのはクリエーターだ。業界にはこれによってクリエイターがのびのびと作品作りを出来ない空気が蔓延している。

なぜ最近は既存コンテンツのリメイクばかりになっているか、そして新作が面白くないのか。「パクリ厨」はよく考えてほしい。

そういうこともあってか、プロダクションはこぞって古い作品のリメイクや原作もののコンテンツに走っているのだが、新しいコンテンツが作りづらい分、原作者の力が異常に強大になっているという現状がある。さらには原作者の力が強大になりすぎている結果、漫画を映画にする際も映像としてもっともおもしろいアレンジを加えることが出来なくなり、原作を1ミリのアレンジなしにそのまま映像化することをせまられ原作モノすらも面白くなくなっている。「映画20世紀少年がつまらん」という理由はそこにある。しかしパクリ厨にそれを批判する資格はない。

坂口安吾は言いました
ゲーテがシェクスピアの作品に暗示を受けて、自分の傑作を書きあげたように、個性を尊重する芸術に於いてすら、模倣から発見の過程は最もしばしば行われる。インスピレーションは、多くの模倣の精神から出発して、発見によって結実する」
宮崎駿も「原作」という言葉が嫌いだと聞いたことがある。
なぜなら創作において本物の「原作」なんてものはほとんどなくて、多くの作品は何か過去のものにインスピレーションを受けて作られるものだからだ。

ネットじゃディ○ニーやJASR○Cが著作権ヤクザだと槍玉に挙げられているが、そんな著作権ヤクザを助長しているパクリ厨はネットから消えていただきたい。