「ソースを示せ」と言われても示す必要性がない。

私は自ら責任を持って発言したいときは、自分のHPなどで自分の実名をさらして書き込んできた。しかし、自分の身の回りに近しいこととか真面目に語りたいこと、議論していきたいことを実名の出るところで書き込むと意外と周りは引いてしまったり、私のあずかり知らないところで陰口を叩かれる素材を与えてしまうということを知った。事実、私のブログを見た人が勝手に誤解して、言われなき誹謗中傷を受けたこともある。その人は私にこう言った「リアルだから辞めろ」と。
だから匿名の(rebamakiという仮の名前をつけて入るが)はてブをはじめたのだけど、そちらの方が意外と率直な意見や反論があったり、議論が深まることにとても驚いている。匿名で語る事の重要性を認識した。しかし、ただの口げんかになってはいけないと思い、ひとつひとつのコメントには反応しないと言う方針で進めようと思っていた。
ただひとつ、コメントの中で気になったことを今回は挙げてみる。

「ソースを示せ」と言うコメントが目立つ。私も自分の実名をさらすような論文であったり、書き込みでは必ずソースを示す。妄想で書き込んでないことを示す必要があるからだ。
でも、匿名の書き込みに対して。「ソースは俺」これ以上は書き込む必要はあるのだろうか。匿名で書き込んでいる時点でそこに「客観的信憑性」は必要なのだろうか。たとえば大企業の社員や政治家が内部腐敗を匿名ブログで暴露したところで、そのソースを示す必要はあるだろうか。むしろ書き込んでる個人を特定できる素材を与えてしまうだけなのでは?匿名でブログを書き込んでいるものが嘘のソースを示していないという保証はどこにもないし、嘘だとわかったところで、その責任を追及できない。匿名なのだから。
ソースを示したところで得するの人はどこにもいない。たとえば反論コメしたがっている人間が客観的なソースを示されたところで、押し黙るかそのソースの信憑性を再び疑うかの二つに一つだろう。そこに議論としての発展性はない。「ソース」なんて言ってどっかの匿名ブログのリンクを貼れば、彼らは納得するのだろうか?むしろ毎日新聞の記事へのリンクを貼った方が信憑性がないのではないか?
匿名ブログのいいところは「ソースは俺」が許される場なんじゃないかと私は思っている。むしろどこか別のブログ、たとえばゴシップ誌のHPやアフィリエイトだらけのブログや有象無象のニュースサイトにリンクが貼られていただけでそれを信頼する人間の方がどうかしていると思う。
このブログにはアフィリエイト広告はない。実名さらして売名行為もしていない。ただ自分の身の回りに起こっている事で納得できないことを書き連ねて自己満足しているに過ぎない。それ以上でもそれ以下でもない。信じてもらおうなんて思ってもいない。だって信じてもらおうが、疑われようが私には何の得もない。

もう一度書くが「ソースは俺」。私がそう書いてるんだからどっか別のところにソースなんて必要ない。示すことも出来なくもないがめんどくさい。信じるか信じないかはあなた次第
「ソースを示せ」というなら「rebamakiが嘘をついている」ことを示すソースを示せばいいんじゃないだろうか。示されたところで反論するつもりもないが。